春がやって来ました。
日本人ならソメイヨシノ、桜の淡い色合いと美しさを、、、散り際の潔さと刹那さ、儚さをも人生観のウチの一つとして愛でることが出来る
日本人を感じる時です。
タケシ、先日、静岡県掛川市に行って参りました。
歴史マニア方なら、掛川と聞いただけで思い出すのが
「掛川城」
ではないでしょうか?
土佐藩山内家が初めて大名として、豊臣秀吉より領地与えられ治め、城を築いたのが、この地、掛川
当時の状況としては、豊臣秀吉と同じ程の勢力と人望誇った徳川家康を関八州に転封させ、家康古来の勢力下と関西、大坂に本拠地の秀吉
家康古来の土地と、家康の新しい領地に楔を打つ重要地が掛川だったんです。
だから秀吉子飼いの武将、大名が東海道の要所を与えられ江戸に本拠地置くようになった家康との大事な防衛線であり、緩衝地帯でもあった訳です。
事実は小説よりも奇なり
のちに、秀吉のコノ策、が見事裏目に出て関ヶ原の戦いでは、秀吉麾下の東海道要所に土地を与えられた武将、大名が皆、家康に平伏し、家康に自領を開き関ヶ原の戦いでの東軍勝利に結びついた訳ですから、おかしなことですよね、、、
そう、その掛川城
江戸時代には譜代大名が城主として入れ替わり立ち替わり治めます。
しかし1746年からは江戸城を家康より先に作った太田道灌の子孫、太田氏が5万石で入場し明治の世を迎えます。
東海道に掛川城あり
ぐらいの美しさ誇った掛川城でしたが、安政の大地震(1854年)で軒並み、城の建物崩壊して今の天守閣は再建されたものです。
しかし、貴重にして希有
京都の二条城、川越城、高知城、そしてここ掛川城だけに残るのが、実際の藩主の住居や藩政がとられた本丸御殿
コレが残るんです。
因みに、再建された掛川城を二の丸御殿越しに見るのがタケシ、オススメの光景
二の丸御殿には、美しく珍しい石垣が、残存しています。
今日、明日の掛川城の桜は満開を迎えていると思います🌸
貴重な本丸御殿残る掛川城跡
一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか?