京都三条大橋
今から154年前の元治元年、1864年の6月5日
祇園祭の宵山を翌日に控えた日でした、三条大橋から程近い、池田屋
時の京都は徳川幕府体制と攘夷派が血で血を洗う争いを毎日の様に繰り広げており、あくまでも体制維持に勤める新撰組、攘夷派志士を見つけては捕まえ時には荒い方法での拷問もし最前線部隊として京の都にありました。
そう、今から154年前の池田屋事件
長州藩中心とする攘夷派志士集まる池田屋に、しらみ潰しに御用改めで攘夷派志士集まる場所を探す新撰組がやって来ます。
池田屋主人は、御用改めの言葉に二階にたむろする沢山の志士達に急いで幕府方の手が伸びている事を伝えに行こうとしますが、近藤勇、土方歳三達が怪しみ乗り込み、新撰組と攘夷派志士達の斬り合いが始まりました。
志士達も池田屋から外に出て戦います、三条大橋上でも激しく、、、
22時を回っての斬り合いだったので、暗闇の中逃げ惑う志士達もいました。
北の方角、東へ西へ
三条大橋の擬宝珠、ここに新撰組と攘夷派志士の誰かが刀で斬り合い、その時に傷付けられた刀傷が今に残ります。
京の都を我が物顔で闊歩した新撰組と局長 近藤勇ですが、その3年後に近藤勇は捕まり江戸で斬首され、首のみが江戸より京の都に運ばれこの三条大橋下の河原で首が晒されます。
時の大きな流れとは残酷なものですね
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