先日、ほけんの窓口レディースで福岡に参りました。
博多の街は大好きな場所なんで、あっという間の一週間でした。
福岡と博多
元々千年以上もの歴史ある地名は
博多
です。しかし関ヶ原合戦時に徳川家康の手となり足となり抜群の功績をあげた、黒田長政は豊前小倉 中津から筑前52万石へと大栄転となりました。
新しく治める土地の中心地 博多
海外貿易で巨材成した商人や裕福な寺院が集まり一大勢力を誇っていました。
長政は、既存の博多の勢力に黒田家の武威を見せつけるために、数千人の黒田家の侍達全員鎧甲冑姿で入国しました。
ある意味喧嘩売っているのと同じですが、まだ戦乱の世の名残がありました。
細川家も加藤清正が心血注ぎ作りし熊本城と熊本に入国した時は?と云えば
加藤清正の位牌を先頭に熊本城に入ったと言う事実が示す通り、一大イベントであり領民の心を掴むか恐れさすか、共感呼ぶか、、、何らかのモノを示さなければ全てに対して示しが付かない時代でもありました。
そして今でも棲み分け、割がありますが、筑前国に入った黒田長政は黒田家発祥の地である備前国、現在の岡山にある福岡の地名から福岡と新しく名付けました。
ですから今でも福岡県や福岡市の福岡はワリと新しい呼称なんですね
しかしそれ以来も、黒田家の武家住居する場所ですね
現在の天神から福岡城跡に伸びる街は福岡
現在の中州や櫛田神社、博多駅などがある場所は博多
この棲み分けが今なおあります。
明治の1889年なっても博多市か、福岡市で議会で大紛糾し現在の福岡市に何とか落ち着いたこともあるので、、、笑
博多っ子とは呼んでも福岡っ子とは呼びません
浪速っ子と呼んでも大阪っ子とは呼びません。
一緒ですね
理屈や法制でなく人の暮らしに寄り添う土着の居心地良い呼称は何か?です。
博多駅近くには
黒田長政の嫡男 黒田忠之始め歴代藩主三名の巨大な墓が残り、無料で拝観出来ます。
ビジネス街は福岡
飲食店や寺社場所は博多
なんか、今はそのように自然に棲み分けになっているようです。
私は博多の街
博多が大好きです。
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