高知県安芸市
阪神タイガースキャンプ地としても有名ですが、藩政期には土佐藩山内家24万石家老の五藤家の本拠地が置かれた場所でもありました。
高知市内は昭和20年の高知大空襲で貴重な街並み焼かれてしまいましたが、安芸市の古くからの武家屋敷などの街並みは今に残り、保存地区指定を受けています。
確かに派手な天守閣や豪壮な屋敷が並び残る、、ではありません。
一家老の私的な場所ですから
しかし、そこにこそ普段日常、市井の息吹が感じられてマニアにとっては堪らない場所なんです。
土佐藩山内家は、ヤマノウチと言われますがヤマウチが正式な呼び名です。
その山内家の家老五藤家の屋敷跡が、今も堀に囲まれて安芸市に残ります。
1601年に長曾我部元親が治めていた高知、土佐に関ヶ原の戦で家康に味方し貢献した山内一豊が遠州掛川より来ます。
石高はカナリの増加して、細長い土佐の東側の要所、安芸市に重臣の五藤家を置きます。
それ以前の安芸は、数百年より続く安芸氏歴代の城、山城ですがありましたが、長曾我部元親に滅ぼされていました。
今も中世、戦国時代、この地を治めた安芸氏の城跡は土塁とともに残ります。
さて、掛川より赴任した山内家と家老の五藤家
言葉悪いですが、山内家は細川家や武田家、今川家と違い、何処の馬の骨やら分からない、、、
だから古くからの股肱之臣はいません。
しかし、山内一豊が秀吉に使えた時から、出世街道歩むことになります。それは五藤家も同じ
五藤家の家宝として残るのが
安芸市歴史博物館で見られます。
土佐藩ぐらいの大藩になると、家老でも万石、数千石になります。
現在の会社に似ているところもありますが、土佐なら山内家宗家が本社社長、各地に所領地持つ家老が支社長、有名な板垣退助や後藤象二郎は本藩上士ですから◯◯会社本社 本部長や局長みたいな感じでしょうか?
坂本龍馬は本社勤務ではありますが、フリーランスな役職です。
さて、安芸市に残る武家屋敷跡ですが
無料で公開されている野村家住宅
周りの武家屋敷跡、笹の生垣
マニア方には、是非とも行って頂きたい場所ですね
安芸市五藤家の屋敷跡と武家屋敷群でした。
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