プライベート

日田中津往還路 伍

 

日田から中津に抜ける30キロの山道。日田杉、檜を大阪・江戸で販売するための輸送ルート確保と維持などで会津若松藩より来て、開拓した神尾家
当時の世界情勢
例えばアメリカ建国、南北戦争、清国が欧米列強に喰い物にされている現状などは長崎に全て情報として入ってきていました。
幕末には横浜などからの情報多くなりましたが、長崎という地が想像以上に重要で、当時の幕閣や大名は世界情勢と世界に於ける日本の位置。というものを以外にシッカリと認識していたように思います。
しかし鎖国を建前としているが故に、海外からの新しい思想などは体制転覆するものと危険視され、片っ端から摘発された事実もあります。
教科書でも習った蛮社の獄
高野長英、渡辺崋山など今としては当たり前ですが、当時としては最先端の行き過ぎたが故に弾圧され悲劇的な結末迎えた事件
これも偏に、国粋主義的な鳥居耀蔵の偏執的粘着力ある政治家のスタンドプレーが故の、蛮社の獄ですが、有名なのは、高野長英が捕まり入牢させられるも、
一生牢で人生費やすのは我慢ならない!
と、牢番に金渡し、ボヤ騒ぎ起こさせ、その時脱牢して全国を隠れて逃げ回った、吉村昭さん「高野長英」読んで頂ければ、その幕府の追っ手から逃げながらも、学問とは?医術とは?人生とは?
を、痛いほど感じることが出来る名著です。

 

話戻ります。
長崎、日田からの最先端の情報が通るのは九州では小倉藩と中津藩
その九州の出口から日本各地に放たれていきます、、、
情報集まる中津藩などでは、藩主の影響もあり蘭学栄えます。最先端技術、観念論、哲学の中国や朝鮮の学問でなく、蘭学は実学です。

代々中津藩御典医の村上家
日本一長く続く医家で、今の当主も村上記念病院という近代的な病院院長されています。
村上医家資料館として、往時のままの建物間取、貴重な文献が展示されています。

そんな村上医家資料館敷地内に昔からある土蔵
この土蔵に全国逃げ回っていた高野長英が40日間潜伏していたんです。
村上家口伝で、中津藩から長州藩領の上関に船で高野長英を逃げさすんですが、その時に長英は船頭にガラス瓶入りの葡萄酒を預けるんです。
上関に無事着いたら、村上家に葡萄酒を届けてくれ!
と船頭に渡したのですが、酒呑みの船頭は、自分で全部呑んでしまい、ガラス瓶だけが村上家に届けられた。
このガラス瓶、昭和の初めまであったのですが、いつの間にか捨てられたと、、、
しかし、高野長英がオランダ語で記した扁額が土蔵に残されていました。

「一滴の水は石をも穿つ」

 

水量なくとも常時、水がポタポタ落ちている下の石
丸くえぐれています。
一滴の水でも、何年、何十年、何百年経つと、あの固い石をもえぐることが出来るんです。
高野長英の学問に対する、生に対する強い意欲を此れほどまでに感じる言葉ありません。
現代の私たちも、同じです

 

村上医家資料館方が、ふと仰いました。
「先日、軒下の草取りをしていましたら、鉄の塊が出て来ました。何かなぁ〜と思っているのですが」

写真では小さく見えますが、こぶし大あります。
かなり腐食していたので、幕末時の実弾ではないでしょうか?
まだまだ色々なものが、出て来そうな予感します。

 

金沢100万石
福岡52万石
広島、岡山
などの大藩でなく、中津藩はたった10万石
しかし、何故ココに此れほどまでの学問が花開いたか?
藩主の影響と、長崎→日田→中津という情報が最終的に集まると言う地政学的な要素も大きいと思います。
日本最初の歯科医 で歯学の祖 小幡英之助
日本最初の整形外科医で整形外科医の祖 田代基徳
も中津藩
そして

 

中津には3ツの大学の創立者出身地でもあります。

 

中津郊外 薦神社近くに生を受け、モラロジーを推奨した廣池千九郎
千葉県にある麗沢大学を創立しました。

そして、中津金谷に生を受けた中津藩士 水島鐡也

辺り一帯は武家屋敷の雰囲気留めます

神戸高商
現在の神戸大学を創立しました。

 

そして

生まれたのは大阪の堂島ですが、中津留守居町に少年期、青年期すごした
中津藩士 福沢諭吉
みなさま、ご存知の慶應義塾大学を創立しました。
福沢諭吉が幼い頃、勉学に励んだ土蔵が今も残されていて、正座し書物読む諭吉少年人形も置かれています

壁土、畳などは新しいですが、二階部分支える横柱は往時のままで、諭吉少年を見てきたかと思うと感慨深いものあります。
しかし、隣接する福沢諭吉記念館に参りますと、福沢諭吉の圧倒的な行動力と学習意欲と申しましょうか、知れば知るほど強烈ですね

自分では買えない高額洋書を家老の息子から借りて、徹夜徹夜で書き写し、最終的には翻訳しものにする。

横浜で、これからの時代は英語を学ばないとならない!と思いきや

英語を習得し、渡米際に手に入れた中国語→英語辞書をカタカナ発音入りで翻訳出版
辞書には初めて日本にカレーが紹介された瞬間でもあります。

 

福沢諭吉は語学、経済学、法学、文学、工学、漢学
全てに通じ習得。しかしそれを難しい言葉や観念論でなく、実学として幅広い階層の人々に知ってもらう、出版や講演といったものを大事にしたことからも良く分かります。
モノがないから出来ない
では、今あるもので何が出来るか?
自分から動き耕し、血とし身とし骨となす、福沢諭吉はじめ、日田から中津の街を散策し、色々な方から話を聞いていると、その原点のマグマのようなフツフツ湧き出る熱い塊。
この大事さを痛感しました
今回最初は、先の大水害で被害受けた日田や山国川近郊に少しでも、、の思いからでしたが、この様な素晴らしい文化と歴史が一地方にあり、此れこそが日本の魅力であり、歴史であり、日本の未来を考えるにあたりの指針となるのでは?
の思いを強くしました。

 

日田中津往還路
素晴らしい文化の香り溢れる街道、街でした。
色々な方にお世話になりました。
ありがとうございました!

時空少年タケシ

 

 

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ABOUT ME
時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。