もうすぐ春ですね〜
恋をしてみませんか🎶
時空少年タケシは、「歴史」に恋しとります
「歴史」とは何年に誰と誰が戦ったとか、何年に条例が定まった。などが歴史と違います。
それも一部ですが、歴史とは私達日本人が何百年、何千年も前から住みし愛してきた山紫水明の日本
それは私の先祖含め名もなき庶民の生活の積み重ねでもあります。
しかし、一人一人の日常の生活は昔は飢饉や伝染病などもあり苦しいかった昔、そんな中で秋の実り収穫時期には村人集まり、日常の辛さ苦しみから解放され、酒飲み踊り明かし
かの祇園祭も元々は伝染病にかからないようにの祭りから起因します。
踊り、着物、食事、酒etc
全て一つ一つに意味があり、全て込みで文化、歴史だと思うんです。
そう、歴史に名を留める
でしたら、皆さま、宇佐神宮はご存知でしょうか?
大分県北部にある宇佐神宮ですが、全国八幡社の総本宮で皇室におかれましても伊勢神宮の次に重要視されている祖廟なんです。
教科書でも習った弓削道鏡が皇位を簒奪しようとするも和気清麻呂により阻まれた事件、769年の出来事でしたが、当時から宇佐神宮は皇室、朝廷に取り権威であり大事な場所でした。
それは今に綿々と続きます・・・
400年昔の建築物や寄進された石灯籠が厳かな神域に佇みます。
そう、戦国時代、この辺りはクリスチャン大名であった大友宗麟に蹂躙され、寺社仏閣は焼かれたり壊されたりしました。
宇佐神宮もまた、被害受けたようで、関ヶ原の戦い終わり大坂の陣で豊臣家滅亡し、幕府制度整っていくと同時に、戦もなくなり荒廃した宇佐神宮も再建、補修され今にその姿みせます。
閑話休題✋
江戸幕府成立した1600年代初頭、この宇佐神宮近くまで治めていたのは、細川氏でした。
小倉・中津に城置き、九州の要として重要視されました。
当時の当主は細川忠利
母は有名な、明智光秀娘の玉
細川ガラシャです。
忠利の子孫は内閣総理大臣もつとめた細川護熙さんで
忠利は三男ながらも細川家継いだ訳ですが、長男であった細川忠隆は時代の急流に流されて廃嫡されます。
この忠隆の子孫はのちに、熊本藩でも主流として返り咲くのですが、政治評論家であった細川隆元さん、細川隆一郎さん、現在テレビ朝日政治部の細川隆三さんは、本来の本流 忠隆の流れ組む方々です。
室町時代から、一寸先は闇の政治の世界で数百年経っても今なお活躍する細川氏見て思うには、やはり「血」ですかね?
話戻ります。
勅使街道から橋渡り、宇佐神宮の神域に足を入れた、昔の高貴な方々、その橋
呉橋
その欄干には、貴重な名前が記されています。
元和戌ですから、元和8年、1622年に小倉・中津を治めていた細川忠利が寄進した欄干が今に残るんです。
細川豊前少将源朝臣忠利
とあります。
ちなみに、この細川忠利という大名、殿様は非常に律儀な方であったらしく、実父の忠興の烈火の如く激しい性格とは真反対だったみたいです。
戦国の世から徳川の治世になり、御家の安泰考え、三男ながらも細川家継いだのに、そこら辺に本当の理由がありそうです。
しかし、この忠利はただの大名でなく、なんと日本で最初にワインを愛し飲み、家臣にワインを作らせた新進気鋭の人間でもあったんです✨
1623年には長崎でワイン購入し飲み、1625年には何と、
「もう少し甘めのワインを所望する」
の書付も残ります。
ロバートパーカーさん、田崎真也さんの大先輩ですよ(笑)
しかも、1628年には家臣の上田太郎右衛門にワイン作り方など書き残し、当時は今のブドウと違い、酸味強い山葡萄だったと思われるので、そこに大豆酵母いれ、見事、ワインを作っていたんですね🍷
凄くないですか?
ゾクゾクしませんか?
どこの本にも載っていない、一般的な歴史からは、どうでも良い話かもしれませんが、タケシは、そこにこそ歴史の深くてロマンチックを感じる魅力があると思うんです。
そう、その細川忠利が治めた領域、日本で初めてワインが作られた場所豊前の地
そこに本社置くのが皆さまもご存知の
いいちこ、ブランドで有名な三和酒類株式会社です。
そして、宇佐市にある本社近くでは?
https://www.winery.or.jp/winery-map/384/
約400年前、細川忠利により作られた日本最初のワイン。その治めた土地で高評価得る、安心院ワイン🍷
400年前のハイカラな武将 細川忠利とワインを思い、飲むと今晩の安心院ワイン
いつもと違った思いがします。
これも歴史です。