プライベート

シーズンオフでもキャディは移動する

 

 

あ〰、今年に入って、ほんとチョロチョロいろいろな交通手段を使って移動した。

(これから先は読むと訳がわからなくなるような箇条書きをしていきます。あくまでも私のメモリーなので興味がある方だけ見てください。尚、日時は所々だけ入れます)

2017、年を明けて2日後、始発の新幹線で博多→神奈川の実家へ

(富士川から望む)

次の日早朝、実家にある車をピックアップして、長野佐久付近スキー場で親族ジュニアレッスン

次の日早朝、車を長野新幹線佐久平駅に止め、成田空港→札幌
札幌で2日間、プロとスキーしたあと最終便で成田空港

成田空港から経費削減で、普通電車を乗り継ぎ群馬高崎
そこからは新幹線で長野佐久平に戻る

長野志賀高原に入山し、友人と2日間スキー

(志賀高原横手山山頂)

連休が終わり、10日夜、長野発夜行バスで大阪
帰りは新幹線と電車で長野
(往復で24時間)

12日午前中、志賀高原で友達の子供がスキー教室に来ているというので、その模様を写真に撮って親に送る

午後からは、北志賀高原よませでスキーレッスンをしているキャディ仲間の偵察

あまりの気温変化と過密移動に寝込む

病み上がり、15日長野野沢温泉で吹雪の中スキー

夜に3大火祭りを見た後、夜中3時に吹雪の中、車で出発

大阪で人をピックアップし、兵庫県ハチ高原スキー場へ行き、スタッフレッスンの同行

2日間後、夕方に神戸空港駐車場に向かい車を止め、フェリーで関西空港
格安航空券で福岡へ
2日滞在後、また福岡から関西空港、フェリーで神戸空港にある車を取り神奈川へ


2日間滞在後、友人が滑っている新潟岩原スキー場に日帰りスキーをして長野志賀高原に戻る

次の日は、菅平高原にインストラクター仲間の顔合わせ

ここからはただただレッスンと移動のみ

長野志賀高原横手山でマイナス15度の吹雪の中、2日間のスキーレッスン

菅平高原に移動し、また3日間レッスン
(志賀高原から毎日通い)

レッスン終了後、また兵庫県ハチ高原へ車移動(600キロ)
2日間レッスン

やっと2月に入ったが、レッスン終了後、車で北志賀よませスキー場にリターンバック(600キロ)

午前中帰着し、午後から3日間スキーレッスン

2月6日は、長野よませスキー場でプライベートレッスン

 

7日に新潟石打丸山スキー場に移動し、大学生スキー教室レッスンを含め4日間

(スキー教室に披露するデモンストレーションの練習風景)

1日だけ長野志賀高原に戻り、また新潟へ戻り日帰りスキー

次の日、長野の荷物をまとめ下山

東京で2日間の講習会を済まし、やっと神奈川実家

スキーの荷物を降ろし、ゴルフ仕様に荷物も車もチェンジ

ここ1ヶ月半で、移動かレッスンか吹雪の中にいた記憶しかない。

試合ごとに移動するゴルフシーズンとは違い、たぶん私の人生の中で、毎回寝る所を変え、最も移動したのではないかと思う。

(バックパッカー時代の30日間で20ヶ国訪問したのは除く! その内、21泊は電車の中でしたけどね)

これからは1週間単位で移動するゴルフシーズン。

少し移動が楽に思えてきたのは、私だけであろうか…

 

 

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ABOUT ME
渡辺 宏之
1971年6月21日生まれ。神奈川県出身。 東洋大学を卒業後、スキーのインストラクターをしながら小中学の同級生、久保谷健一がプロになったことでツアーキャディーに。 2002年に久保谷プロの2週連続優勝の後、2003年USツアーに本格参戦。 2004年から倉本プロのキャディーを務め、2006年から07年はアメリカシニアツアーに参戦。 女子ツアーでは服部道子プロ、古閑美保プロ、諸見里しのぶプロのキャディーを務め、優勝に貢献。 2010年、14年ではシニア賞金王、倉本プロの専属キャディーを務める。 2012年、15年には、I・J・ジャンプロのキャディーを務め、中日クラウンズで2度の優勝。 日本で開催されたUSPGAツアー「ZOZOチャンピオンシップ」では、2021年、マッケンジーヒューズで4位。いままで自身アメリカツアー最高位13位を上回る。 2022年もピーターマルナリティのキャディとして2年連続の参戦。 その年、倉本昌弘プロ(67才)のエージシュート「63」のマネジメント力を間近で感じる。