樋口久子三菱電機レディス
ギャラリーゲート入り口に大きな看板
こう見ると、いろんな記録を持っている。
松山英樹プロも今回の優勝で歴史的な人物になったに違いない。
そして進藤専属キャディの名も、キャディ仲間に印象づけたであろう。
樋口久子プロは、やはり1977年のメジャー全米女子プロ選手権優勝が記憶に残る。
私が倉本プロのアメリカシニアツアーの予選会の時、ひとりのキャディが私に話しかけてきた。
「チャコ、元気か?」
(チャコは、樋口久子プロのニックネーム)
そう、1977年に樋口久子プロのキャディとして優勝したキャディであった。
日本人のキャディを見ただけで声をかけてくれるのは嬉しい。
海外優勝といえば、1985年の服部道子プロの全米女子アマ。
当時最年少優勝だったらしい。
これまたシニアの大会で、当時服部道子プロが通っていたテキサス州大学の監督が私の顔をみて話しかけてきた。
「みちこは、元気かね?」
ゴルフは人の輪を広げる
そして、歴史に名をいろんな人たちが刻んでいるが、私も昔、輝かしい栄光がある。
10月31日、ハロウィーン仮装パーティーが日本に根付いてきたが、当時、大学の近くに後楽園遊園地があった。
そこで第1回ハロウィーン仮装コンテストをやるということで、大学の友人と参加。
(私が言い出しっぺ)
見事、準優勝!
商品ゲット
私のテーマは、ギリシャ戦士
(仮装は大したことないが、ステージでのパフォーマンスがうけたらしい)
それより、私以外の仮装レベルの低さには驚いた
全くまとまりがない
これに味を締め、次の年に行われた第2回ハロウィーン仮装コンテストにも出てみた。
結果、またもや準優勝!
今度は大会がだいぶ有名になっていて、舞子後楽園スキー場宿泊劵をゲット
もうわからない人は多いかもしれないが、当時流行っていた
カップ焼きそばUFOのヤキソバン
スーパーに必殺技、揚げ玉ボンバーの揚げ玉を探しに行ったものだ。
因みに、友人たちは写真選考で落とされ、ステージすら上がれなかった。
そのレベルの低い仮装を紹介しよう
サッカーJリーグが発足したばかりということでラモス ルイ
アニメ好きなやつは、サリーちゃんのとんきち、ちんぺい、さんた
なぜかデビルマン
そしてニュースで騒がれた矢鴨。
非常識
今や有名音楽家のマネージャーやってますけどね。
しかしなぜかみんな集まるとゴレンジャーみたいで強そう。
こうやって、私もハロウィーンパーティーの歴史を作ってきた。
今もやっているのかなー?後楽園遊園地ハロウィーン仮装コンテスト!
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