御師 外川家住宅と富士講

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先週書かせて頂いた、北口本宮冨士浅間神社の二百メートルほど下に、江戸時代は86もの宿坊擁した街並が形成されていました。

富士山を信仰対象とした富士講が江戸時代より関東一円に流行り根付き、参拝登山を目的として、この宿坊に宿泊して夏季、富士山に登ります。

江戸日本橋よ約120キロありますが、昔の方は3日で来られたそうです。恐るべくソノ脚力です。

さて、関東一円から富士山に参拝登山しに沢山の人が来ます。その宿泊施設経営と冬場に富士登山出来ない季節は、関東一円を歩いて回り、富士講を宣伝する職業、それが

御師(おし)

です。

西日本の庶民がお伊勢参りに行った様に、関東一円の庶民の生涯一度でもの場所が富士登山参拝でした。

江戸時代には86もの宿坊数えましたが、明治時代に入り神仏分離令あり、大正、昭和と近現代の荒波に飲み込まれ富士講は廃れていきます。

宿坊も数減らし、建物も無くなりました、、、しかし、完璧に往時の姿形残すのが


外川家住宅、当時の御師の家を見てみたいと思います。


門くぐり


靴脱ぎあがると


当時の資料も展示されていて


立派な梁、200年以上前の形をそのまま


宿泊した参拝者が使用した膳

酒は千葉の日本酒を用意していて飲み放題だったらしいです。池には鯉も飼われており鯉こくなども別料金で出されたと


宿泊する人間多い時は、奥座敷横の廊下にも寝ました

しかし200年以上御師の家系として栄えた外川家も昭和37年最後に宿坊閉め、外川家も跡取りいなくなり断絶しました。

現在は富士吉田市が管理していますが、次の写真がありました


今から92年前の写真ですが、写真真ん中の女の子、この方は現在も94歳で静岡に在住されいて御健在なんですって

そして幕末今から約150年前は


両サイドに宿坊あり、それから約40年後、今から約110年前は


昔の日本は、一部を除き質素で貧しい生活をしていました。

しかし、それがイコール、文化や精神的に貧しいという意味ではありません。むしろ逆です

少ない機会、チャンス、物質的にも恵まれていた訳でありませんが、無から有。自活能力、少ないものを大切に、何倍もの価値生み出し日々を過ごしてきたのが私たち日本人であり、祖父祖母、曽祖父、曽祖母先達です。


上の2枚の写真と同位置からの写真です。

150年、110年前と今

守り伝えていかなければいけないもの

それは大上段に構える威勢の良いワンフレーズなんかでなく、当たり前のモノ、心なんかでないでしょうか?

御師 外川家住宅

お邪魔致しました。

 

 

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時空少年タケシ

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